学部時代,こういう授業があったらもっと変わってたかな.
今は研究ばかりで,授業を受けることはなくなってしまったので,少し寂しい.
長い投稿だけど,物好きなやつはどうぞ.
(高橋源一郎が明治学院大学で行った講義)
この「文章」を書くという「学問ではないけれど,ちょっと学問みたいなところもあるなにか」のいいところは,「とりあえず」始めてみる,ことができることなのです.
ああ,その前に,1枚のプリントを配ります.手元に届いたら読んでみてください.
いえ,わたしが朗読してみることにしましょう.
「とりあえず」始めるその前にです.
『若い読者へのアドバイス
(これはずっと自分に言い聞かせているアドバイスでもある)
人の生き方はその人の心の傾注(アテンション)が如何に形成され,また歪められてきたかの軌跡です.注意力(アテンション)の形成は教育の,また文化そのもののまごうかたなきあらわれです.人は常に成長します.注意力を増大させ高めるものは,人が異質なものごとに対して示す礼節です.新しい刺激を受けとめること,挑戦を受け取ることに一生懸命になってください.
検閲を警戒すること.しかし忘れないこと―社会においても個々人の生活においてももっとも強力で深層にひそむ検閲は,自己検閲です.
本をたくさん読んでください.本には何か大きなもの,歓喜を呼び起こすもの,あるいは自分を深めてくれるものが詰まっています.その期待を持続すること.二度読む価値のない本は,読む価値はありません.(ちなみにこれは映画についても言えることです).
言語のスラム街に沈み込まないように気をつけること.
言葉が指し示す具体的な,生きられた現実を想像するよう努力してください.たとえば,「戦争」というような言葉.
自分自身について.あるいは,自分が欲すること,必要とすること,失望していることについて考えるのはなるべくしないこと.自分についてはまったく,または,少なくとも持てる時間の半分は,考えないこと.
動き回ってください.旅をすること.しばらくのあいだ,よその国に住むこと.けっして旅することをやめないこと.もしはるか遠くまで行くことができないなら,その場合は,自分自身を脱却できる場所により深く入り込んでいくこと.時間は消えていくものだとしても,場所はいつでもそこにあります.場所が時間の埋め合わせをしてくれます.たとえば,庭は,過去はもはや重荷でないという感情を呼び覚ましてくれます.
この社会では商業が支配的な活動に,金儲けが支配的な基準になっています.商業に対抗する,あるいは商業を意に介さない思想と実践的な行動のための場所を維持するようにしてください.自ら欲するなら,私たち一人ひとりは,小さなかたちではあれ,この社会の浅薄で心が欠如したものごとに対して,拮抗する力になることができます.
暴力を嫌悪すること.国家の虚飾と自己愛を嫌悪すること.
少なくとも一日一回は,もし自分が,旅券をもたず,冷蔵庫と電話のある住居をもたないでこの地球上に生き,飛行機に1度も乗ったことのない,膨大で圧倒的な数の人々の一員だったら,と想像してみてください.
自国の政府のあらゆる主張に懐疑的であるべきです.ほかの諸国の政府に対しても,同じように懐疑的であること.
恐れないことは難しいことです.ならば,いまよりは恐れを軽減すること.
自分の感情を押し殺すためでないかぎりは,おおいに笑うのは良いことです.
他者に庇護されたり,見下されたりする,そういう関係を許してはなりません―女性の場合は,いまも今後も一生をつうじてそういうことがあり得ます.屈辱をはねのけること.卑劣な男は叱りつけてやりなさい.
傾注すること.注意を向ける,それが物事の核心です.眼前にあることをできるかぎり自分のなかに取り込むこと.そいて,自分に課されたなんらかの義務のしんどさに負け,自らの生を狭めてはなりません.
傾注は生命力です.それはあなたと他者とをつなぐものです.それはあなたを生き生きとさせます.いつまでも生き生きとしていてください.
良心の領界を守ってください・・・・・.
二〇〇四年二月
スーザン・ソンタグ』
読み終ったら,その紙から,目を上げ,窓の外を眺めてみてください.
桜が咲いているのが見えますね.なんて美しい風景でしょう.このキャンパスのいいところは,こういうものが見られるところです.
すぐ横に,そんなにも美しいものがあるのに,活字ばかり追いかけてはいけません.読んだものは忘れて,見ることに,傾注してください.いや全力を費やしてください.なんだったら,教室を出て,外で眺めてもかまいません.わたしは,ここで,あなたたちが戻って来るまで,待っていますから.
さあ,桜は十分に見ましたか.見たら記憶にしまってください.この次の授業の時には,あの桜は,もう散り始めているでしょう.そして,その次には,すっかり散って,緑の葉が眩しく輝いているでしょう.それらも,見るようにしてください.だから,あなたたちが,窓の外をぼんやり眺めていても,私は文句をいいません.ことばは,というか,活字は,その後で十分です.
ではもう一度,あなたたちの机の上にある紙に戻りましょう.
それを書いたスーザン・ソンタグという人は,これを書いた10ヵ月後に,白血病で亡くなりました.おそらく,彼女は,死期が近づいていることを知っていて,この文章を書いたのでしょう.つまり,これは,遺書というわけです.
不思議ですね.遺書というものは,どんな財産を誰に遺すかを書くものなのに,ソンタグという人は,自分の読者に,アドバイスを贈っています.いや,つまり,それが,彼女の持っている財産で,それを直接,譲り渡すために,この文章は書かれたのです.
わたしは,これから,授業の時,こういった,わたしのお気に入りの文章を持ってくるつもりです.それを,どんな風に,あなたたちが利用するかは,利用しないことも含めて,あなたたちの自由です.
たとえば,「これは名文だ!こんなようなことをわたしも書きたい」と思って,この文章を暗記したり,そっくりに真似て書いてみる,というようなことをしてみてもいいでしょう.
あるいは,「なんか,よくわからない.でも気になる」と思って,ファイルに綴じ,時々そっと読み返してみるのもいいでしょう.「関係ないや」と思って,この授業が終わったら,さっさとゴミ箱に捨てても構いません.
少なくとも,あなたたちは,一度は,「スーザン・ソンタグ」という名前や,「二度読む価値のない本は,読む価値はありません」とか「もっとも強力で深層にひそむ検閲は,自己検閲です」とか「卑劣な男は叱り付けてやりなさい」といった文章を,目にしたわけで,わたしは,それで十分だと思っています.
家に戻って,インターネットで「スーザン・ソンタグ」という名前を検索して調べる必要は,まったくありません.彼女が,どんな人で,どんな本を書いたか,というような知識も,まったくいりません.この文章が気に入ったら,彼女の本を読んでみるのもいいでしょう.でもそうしなければならないわけじゃありません.
この短い文章があって,そのことについて,5分か7分だけ考えてみる,それだけでいいとわたしは思ってます.
こういう文章見つけてくる暇があるのが,文系大学院生っぽいでしょう?
このくそみたいな社会としぶしぶ折り合いをつけながら踏ん張っている社会人の皆さんの,
たまの休みの現実逃避に,少しでもお役に立てたら,幸いです.